最新レポート - 第49回相模原市スキー選手権大会 2006/1/14~1/15

第49回相模原市スキー選手権大会 2006/1/14~1/15

カテゴリ : 
レポート 05-06
執筆 : 
ma-mori 2006-1-16 16:00
最優秀選手は坂下誠光選手(新キャタSC)でした。
坂下選手を中心にシーハイルを行いました。
相模原市民選手権での最優秀選手賞を受賞して
2006/2/1
新キャタピラー三菱㈱スキークラブ 坂下 誠光
20代の始めの頃、未だアルペン競技にも参加していた頃の話ですが、ノルディックで優勝し、アルペンでも入賞した時に、最優秀選手賞の候補には挙がった時がありました。
しかし、お前はまだ若いから、何回でもチャンスがあるからと言われ、市役所の荒川さんが受賞したのです。
それ以来、同期世代のアルペン陣の選手層が厚いこともあり、アルペンでの入賞は難しく、また、長年やっているせいもあり、既にもらっていると思っていた人が多く、候補にも挙がらなくなってしまっていました。
今回受賞したことは、長年やっていたご褒美だと思っています。

私は20歳で結婚したのですが、その時はアルペンをやっていたのです。
しかし、同じクラブで一緒にやっていたメンバーは、国体を目指し冬と言わず、夏と言わず一年間のほとんどをスキーに没頭しているメンバーだったので、さすがに同じようには活動できませんでした。
そんな時、やはり我々メンバーを競技に誘ってくれた七山さんや、既にノルディックをやっていた立原さんが、お前はサッカーをやったり、マラソンも強くノルディック向きだから、その方が国体を目指す近道だといってくれたのです。
しかも夏のトレーニングでなんとかなるから、彼らのように一年中スキー漬けにならずに済むということもありましたし、費用の面でもそうでした。
それで一大決心してノルディックに転向したのです。
サッカーや陸上、スキーと色んなスポーツをやっていて、全て県総体は出場しましたが、一つくらいは国体に出てみたいという想いもありました。
先頃、その当時のメンバーだった大滝さんが、若くして病に倒れたことは非常にショックでした。

転向して最初の年の市民選は5位で、県総体には出場できませんでした。
次の年に2位になり、昭和電線の渋谷さんが優勝して、2人で青年組に出場したのが最初の県総体でした。
その年は、個人戦は同着ながら10位に入賞し、しかもその0.5点が利いて横浜市に0.5点差で相模原市が初優勝したのです。
舘盛前市長が初当選したばかりで、ヴェルディ相模原で大々的な優勝祝賀会が行われた時のことを今でも覚えています。
選手団を代表して、一番最初にマイウェイを市長の前で披露したことも忘れられません。


その後、長いノルディック人生になったのですが、正月に家にいたのは、結婚した年と、上の娘がうまれた年、下の息子が生まれた年だけになってしまいました。
しかし、長くやってこれたエピソードとして、他の理由もあります。
私は22歳で家を購入して、その次の年に娘が生まれたこともあり、やはりスキーの費用も大変になり、市民選は出ていましたが、暫く国体予選はパスしていました。
その時の女房との約束で、目の前の国体出場のチャンスを我慢してその後長くスキーをやるか、国体出場した後、スキーを止めてしまうか、どちらかの選択を迫られたのです。私は長くやる方を選択したのです。
しかし、私が暫く国体予選をパスしている間に、長年の親友であり、好敵手であった酒田君が先に国体初出場を果たしたのです。
はっきり言ってショックでした。久々の相模原からの国体出場だっので、壮行会もかなり派手でした。
それがきっかけとなり、また国体出場を目指すようになったのです。

当時は我々同世代で国体を目指している人が沢山いたので、なかなかチャンスは巡ってきませんでした。
チャンスが巡ってきたのは、成年C組(35歳以上)に入る年でした。
予選会では乳井さんという前年も国体で入賞している人に次いで2位だったのです。
当然のようにタイム差はあったのですが、周囲の人達の後ろ盾もあり、国体に初出場することができました。
アルペンではヴィバントの松原さんもやはり初出場で一緒に行けたので、心強かった想い出があります。
やはり全国大会は選手のレベルもすごいけど、あの雰囲気は最高です。
特に最終日のリレーで神奈川県が初めて8位入賞した時の興奮は今でも忘れられません。
雪無し県で10位以内にはいること自体快挙で、地元の新聞は優勝した長野県と同じくらい取り上げていました。
当時長野県には佐々木という選手がいて、ワールドカップで東洋人として初めて6位入した人です。
ヨーロッパのマスコミは、1位になった選手より大きく取り上げたそうです。


これまで長くやってこられたのは、やはり最高の気の合う仲間がいたからです。
しかも、相模原は三塚、小林両名誉会長がノルディック出身の会長だったこともあり、非常にノルチームを良くバックアップしてくれたことも忘れられません。
この仲間がいる限りノルはやめられません。
ただ淋しいのは、最近若い人が入って来ないことです。
これは競技スポーツ全体に言えることだそうですが、やはり仲間を増やさないと、この良い環境は引き継げなくなってしまいます。
これからも長くやっていくためにも、仲間を増やしたいと思っています。

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